旧帝国大学を卒業し、知名度はあまりないけど、優良企業に入り、順風満帆な生活を送っていたはずが、本社へ栄転後、本社の雰囲気になじめず、鬱病になった話(導入編)
なお、本記事は、鬱病になるまでの経緯のみであり、寛解・職場復帰の記事は次回以降となります。同じような境遇の人に読んでもらえれば、嬉しいです。
本社に栄転で最初はときめいた
社会人になり、比較的仕事にも慣れ、お客さんに結構可愛がられ、本社へ栄転。弊社は昔は支社の営業の力が強かったのですが、トップが変わり、本社に権力が集中しつつある時期だったので、本社への栄転は私のキャリアとしてはちょうどいいタイミングでした。
本社の中でも結構力を入れているエースが集められた部署の最若手として、配属されました。私はまだ20代でやる気もあり、本当に嬉しかったのを覚えています。
想像していたのとは異なる本社での業務
本社でも力を入れている部署だったため、役員の関心も極めて高く、実質役員直轄の部署。部署の最若手だったこともあり、実際の業務は、会議室の予約、本社決定事項の支社への指示文書の作成、役員と部長クラスの打ち合わせの調整等。
支社で営業をしていた時は、最終決定は、形式的には、支社長なり支社部長等でしたが、実質お客さんとの話はほぼ担当の私がまとめていました。そのため、仕事をしているという実感はありましたが、本社での仕事はあまり仕事をしているという実感はありませんでした。
親戚のおじさんに少しイキって本社の中枢に最若手で、配属されたと報告した時に、「役員会の茶坊主やってるんやな」と言われ、ムッとしたのを覚えていますが、今から振り返ると親戚のおじさんの言う通り、茶坊主の仕事しかしていなかった気がします。
支社時代も深夜残業の日もありましたが、主体性をもって業務を行い残業するのと、よくわからないまま、上司からの指示に追われ、残務処理が終わらず、残業するのでは、精神的な疲れが全然違いました。
仕事が周らず、次第に部署内で孤立してくる
支社に指示文書を出すにも、色々な明文化されたルールや(特に支社長宛ての場合は)暗黙の記載ルールがあり、それを知らなかった私は記載ルール等を間違え、上司に迷惑をかける日々。
上司からは、「なぜ調べないのですか?」、「なぜ聞かないのですか?」といわれるも、そもそもそのようなルールがあることを知らず、調べないといけないという事すら頭にありませんでした。
上司に言われてきつかった事
支社時代は、上司によっては、机をたたいたり、個室に呼ばれたうえで1時間程度罵倒してくる人もいました。その当時は精神的に辛かったのですが、周りの先輩や隣の部署の管理職から慰めてもらったりし、精神的に病むことはありませんでした。
慣れてくると、「今日も〇〇課長は元気に机叩いているな。手痛くないのかな、音に合わせて動く猿の人形とか机の上に置いたら、結構シンバルとか叩くのかな」と考えたりする余裕もありました。
一方、本社の上司は、紳士的で、スマートな仕事ぶりであり、一般的なパワハラとは無縁な感じでしたが、一言一言がぐさりと私の心に刺さりました。
Q「どうしてこのような失敗をしたの?時間がないのですか?能力がないのですか?自覚がないのですか?」
A「時間がなく、焦っていました」
⇒「あなたの仕事量としては、それほど時間がキツキツとは思えません。時間がないなら、なぜ始業時間の前に来て、PCを付けずに書類を読んだり、勉強しないのですか?」
A「能力的に少し足りないのかもしれません」
⇒この部署に配属されるのであれば、能力がないという事はないと思います。自分を卑下するのはやめてください。それにもし能力がないと本当に感じているのであれば、なぜ勉強しないのですか。
とうとう身体に支障が…
そんなこんなで、部署内で孤立してきた私。徐々に身体に支障が出てきました。まず、夜に寝れなくなりました。寝る前に色々と当日言われたこと、指摘された事を思い出して、「あの時ああ言えばよかった、このように反応しておけばよかった」と布団の中で悶々とする時間が経過。
目は覚めているのに、早く寝ないと早く寝ないとと焦る気持ちばかり募ります。そのため、早く寝るために、あまりお酒は強くないのに、お酒を飲んで寝る日々。
当然、寝起きは悪く、朝寝坊。遅刻は流石にしませんでしたが、始業時刻ぎりぎりに出社する日々が続きました。当然、周りの反応は悪く、「かめ君は、仕事も十分にできないのに重役出勤をしている」と悪評が。
上司に別室に呼ばれ、「もっと朝早く来た方がいいよ。他の管理職から私(上司の事)あてに、君が仕事も十分にできないのに、朝は遅いし、やる気があるのかと苦情が来ている」との叱責。
出社前に、お腹が痛くなり、会社の前に来ると胸が詰まった感じになり、さらに出社前にトイレで泣いてから業務室に入室する日々が続く。
そして、Xデーは訪れる。(続く)
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