- 君主論の前提
- 君主論でなるほど!と思った言葉・内容
- 第二章:世襲の君主権について
- 第三章:複合的君主権について
- 第五章:征服される以前、固有の法に従って統治されていた都市や君主国をどう支配すべきか
- 第六章:自己の武力と能力で獲得した新しい君主権について
- 第八章:極悪非道な手段によって君主となった場合について
- 第九章:市民の支持によって得た君主権について
- 第十一章:協会の支配権について
- 第十二章:軍隊の種類と傭兵について
- 第十三章:援軍と自己の軍隊について
- 第十四章:軍事に関する君主の義務について
- 第十五章:人間、特に君主が称賛され、非難される原因となる事柄について
- 第十六章:気前良さとけちについて
- 第十七章:残酷さと慈悲深さについて、敬愛されるのと恐れられるのではどちらがよいか
- 第十八章:君主は信義をどのように守るべきか
- 第十九章:軽蔑と憎悪を避けるべきである
- 第二十章:砦やその他君主が日常的に行う事柄は有益かどうか
- 第二十一章:尊敬を得るためにはどのように行動したらよいか
- 第二十二章:君主の秘書官について
- 第二十三章:追従を避けるにはどうしたらよいか
- 第二十五章:人間世界に対して運命を持つ力とそれに対決する方法について
- 第二十六章:イタリアを蛮族から解放すべき
君主論の前提
君主論は、200ページ程度の本。
マキャベリズム、君主論とよく聞く古典。
文庫本を手に取ってみると意外と量が少ない。
しかも26章から構成されており、1章当たりの頁はせいぜい5~6頁。
電車の中で1章ずつ流し読み可能。
中世イタリアや(欧米の知識人にとっては常識の)ギリシア・ローマの知識がないと
少し読むのに苦労します。
君主論でなるほど!と思った言葉・内容
第二章:世襲の君主権について
マキャベリはフランス王国を念頭に「世襲の君主権は余程無茶苦茶しない限りは安定」と記載。
そういう意味では日本ではマキャベリズムが体系だって発生しなかった理由も納得。
古代中国でも「王」の価値が低下した春秋戦国時代に「法家」が産まれたのも納得。
第三章:複合的君主権について
(当時の)フランスによるイタリアへの侵攻を例示。
占領地には兵の駐在よりも「植民」が効果的というのは、今の世の中を動きをみていると
納得。
占領地での敵基地は破壊できても、植民されると取り戻すのは大変。(北方領土しかり・・・)
第五章:征服される以前、固有の法に従って統治されていた都市や君主国をどう支配すべきか
自由な共和制を享受していた国々は100年経っても自由な時代を忘れず反乱を起こすと定義。
征服者が在住して睨みを効かせつづけるか、徹底的に破壊するしかないという身も蓋もない結論。
第六章:自己の武力と能力で獲得した新しい君主権について
モーゼ等の偉人の例を示す。
武器なき預言者は破滅する(新しい制度を導入するには実力行使しかない)という
普遍の心理を記載。
第八章:極悪非道な手段によって君主となった場合について
非道なだまし討ちで敵対勢力を殲滅し権力を得た場合。
一気呵成に行い最初のみ恐怖のみを与え、それ以降は二度と行わない場合は有効。
繰り返し行うと維持できず。
パワハラ管理職に聞かせたい言葉。
第九章:市民の支持によって得た君主権について
少数の貴族からの支持によって確立した君主権よりも
多数の市民の支持を得て確立した君主権の方が盤石かつ維持しやすいとの記載。
ただ章の最後に「民衆は裏切るよ」とくぎを刺しているのが、マキャベリらしく
また今の民主主義社会への皮肉にも感じる。
第十一章:協会の支配権について
ローマ教皇に関する記載。
「ローマ教皇のみが、領土を持ちながら防御せず、人民を保有しながら統治しない。
領土は防衛せずとも奪われず、臣民は統治されずとも気にせず、離反しない」
→この表現好きだなぁ。
ただマキャベリが無くなる1527年の10年前にマルティンルターが贖宥状(免罪符)
を非難した「95箇条の論文」を出しており、ローマ教皇の崇高なる精神的な領土が
プロテスタントに奪われることになるのは歴史の皮肉。
第十二章:軍隊の種類と傭兵について
本章の冒頭に「良き軍隊なき所に良き法はありえず、良き軍隊あるところに良き法あり。
それゆえ、法を語る前に軍隊を先に語る」とマキャベリは述べている。
果たしてこの言葉の真意を我々日本人はどれだけ理解しているのだろうか。
第十三章:援軍と自己の軍隊について
援軍はそれを得て勝利したとしたとしても援軍してくれた国に頭は上がらない。
自己の国民から構成される国軍が必要と記載。
第十三章は短いが、今の日本にとって大事な章のように感じる。
そして武器支援は受けているものの、国民軍で抵抗を行う今のウクライナの強さの証左のように
感じる。
第十四章:軍事に関する君主の義務について
武力を持たないために蒙る災厄の中で最もたるものは他人による軽蔑である。
少し古いが湾岸戦争の時の日本には耳の痛い話のようだ。
第十五章:人間、特に君主が称賛され、非難される原因となる事柄について
君主にとって、従来認識されてきた美徳(慈悲深い、勇敢)と
望ましくないとされる悪徳(残忍、傲慢)はその時の状況によって変わるとの記載。
君主は「有徳であるべし」との従来の伝統に対するマキャベリの挑戦が始まった章。
第十六章:気前良さとけちについて
気前良さを維持するには最終的には重税となる。重税は憎悪を招く。
最初からケチであれば軽蔑のみですむ。
憎悪は絶対避けるべきであり、軽蔑ですむなら軽蔑で済ますべき。
サラリーマン生活でも通用する言葉。
第十七章:残酷さと慈悲深さについて、敬愛されるのと恐れられるのではどちらがよいか
君主論の真骨頂の章。
君主は人民から敬愛されるよりも恐れられるべき。
いざとなった時は、人は敬愛では動かないが、恐怖では動く。
もっとも、マキャベリは、「人民の財産、命を正当なく奪うのは厳禁」としている。
恐れを抱かれつつも憎悪を受けてはならぬと釘を刺す。
たしかに偉くなっている役員・部長は恐怖はされているが、明確なパワハラはあまりないね・・・。
第十八章:君主は信義をどのように守るべきか
マキャベリは人間は邪悪で信義を守らないと性悪説を展開。
君主は法と暴力、人間と獣の両面を持つ必要があり、信義のみを大事にした過去の君主は
皆、滅びているととく。
君主の人間性は周りのごくわずかの人しかわからないから、そのように「見える」外見を
整える事が重要とマキャベリは述べる。
第十九章:軽蔑と憎悪を避けるべきである
マキャベリは君主論の中で、「軽蔑と憎悪は君主として避けるべき項目」と繰り返し述べる。
本章はローマの歴史が前提知識とないと少し難しい。
第二十章:砦やその他君主が日常的に行う事柄は有益かどうか
マキャベリは最大の砦は、民衆から憎まれない事と述べる。
マキャベリの時代から少し時代は下るが、武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方
仇は敵なり」に通じるものがある。
第二十一章:尊敬を得るためにはどのように行動したらよいか
内政面では、常に戦争等のイベントを起こし、反乱を起こさせないようにする。
古代中国の政策にも通じる。そしてそれは古代だけでなく、現代でも通じる・・・。
第二十二章:君主の秘書官について
君主の出来はその君主の仕えている人物を見ればわかる。
1 非常に優れている/自分の力で理解するもの。
2 優秀/他人の意図するところを察知するもの。
3 無能/1と2以外
マキャベリは君主は、1でなくとも、2ではないといけないと述べる。
この多様化・複雑化された現代の管理職はむしろ「1」よりも「2」が必要と感じた。
第二十三章:追従を避けるにはどうしたらよいか
誰もが自由に意見を述べるようにすると尊厳が失われる。
誰の意見も聞いていると朝令暮改となる。
賢明なるものを部下に選び、質問されたことに対してのみ自由に意見を述べさせるのが
一番良いと述べる。現代のリーダー論にも通じる。
第二十五章:人間世界に対して運命を持つ力とそれに対決する方法について
運命が全てを決めるわけではない。
半分は運命、半分は自分の意思。
そして運命は、破滅的な川。川の氾濫は止められないが、自分の意思で川に堤防を築き、
被害を抑えることができる。
人間賛歌の章のように感じた。
君主論の最後の方で、人間賛歌をもってくるマキャベリは憎いね。
第二十六章:イタリアを蛮族から解放すべき
常に冷静で、人間とはこのようなものだと分析しつづけたマキャベリ。
君主論の最終章でマキャベリは、イタリアの栄光についてテンション高く希望する。
最後の最後でマキャベリの人間らしいところが垣間見れて嬉しい章。
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