【大人の読書感想文】シートン動物記(狼王ロボ等)

うつ病再発防止に向けたサラリーマン生活
まとめ

 小学生の頃好きだったシートン動物記。アラフォーの窓際族のおっさんが改めて手に取って読んでみました。

 シートン動物記は、ディズニーのような動物がしゃべるおとぎ話ではなく、とはいえ動物の生態の観察記でもなく、動物の生態を描写しながらも動物を主人公とする物語。

 どの物語も著者シートンの動物に対する畏敬の念にありふれている。動物は可愛い、守るべき存在といった視線ではなく、自然の中で誇り高く生きる動物への対等な目線で厳しい。

 ハッピーエンドもあるが、主人公である動物が最後に無くなってしまう話も多い。「もののあわれ」なところが日本人には受けたのかもしれない。

狼王ロボ

 狼王ロボは、賢く、力強い狼。人間が知恵を絞ったどのような罠も見破ってしまう知力を持つ。

 少数精鋭の部下を率い、牧場の牛を襲う。どの部下も他の狼の群れではリーダーを務めるほどの実力があり、足の速い部下、美しい妻等の部下を率いる様子は少年漫画チック。

 多くの狩人がロボに挑み、破れていく。シートンもロボに挑戦し、一度は破れる。

 シートンはロボではなくロボの妻のブランカを罠にかけることを思い付き、ロボの妻のブランカを罠に捉え、ブランカを囮に冷静さを欠いたロボを捕獲する。

 シートン動物記の中では、ギザ耳坊やの冒険と並んで有名な話。大人になってから改めて読んでもロボの力強さ、ロボを捕獲した後のシートンの後悔、そしてシートンのロボへの敬意に涙。

 ロボの写真(白黒)もあったが、子供の頃に読んだ時の記憶ではとても大きく見えたが、今見てみると確かに大きいがめちゃめちゃ巨大というわけでもなかった。

 ただロボの威厳は白黒の写真からでも感じ取ることができる。万年平社員の私からすると誇り高く生きるロボ、アメリカの平原を縦横無尽に走り回るシートンが眩しい。

灰色グマの伝記

 アメリカではグリズリーと呼ばれるヒグマの一生。親を狩人に殺された子熊のワーブ。人間、その他動物(クロクマ、コヨーテ等)に脅かされながらも体躯の立派なグリズリーに成長。

 豊かな狩場・餌場を確保し、その他動物どころか人間をも寄せ付けぬ孤独な王となったワーブ。最後は、歳をとって、自分より小さな熊の影に怯え、硫黄泉の中で死んでいく。

 シートン目線での狼王ロボと異なり、灰色グマの伝記は主人公ワーブの目線で紡がれていく。栄枯盛衰物語。

 アラフォー、万年平社員の私からすると凄い心打たれる物語。小学生の頃読んだ時は温泉の硫黄は場合によっては死を招くんだ~との感想でした。

 ワーブに知恵比べで勝った小さな熊。子憎たらしいけど、知恵は大事なんだな・・。ただワーブはこの小さな熊に豊かな狩場・餌場である自らの王国から追い出されなくてもいずれは老衰で無くなってしまうのだろう。

 見えない敵に怯えるワーブは、見えない声・失敗に怯える自分自身のようだ。

カンガルーネズミ

 動物が主人公のシートン動物記の中では変わった作品。主人公(シートン)が庭の周りの動物を観察し、カンガルーネズミをとらえ、カンガルーネズミの巣を注意深く・要人深く観察した一冊。

 シートン動物記の中では、純粋な動物観察記であり、どちらかといえばファーブル昆虫記に近い内容。

 本作の中でシートンは「おとぎ話の道と現実の科学の道があり、誰もがどちらかの道を選ぶ。私は現実の科学の道を選んだ」と記し、幻想的なカンガルーネズミの生態をち密に描写していく。

 緻密な描写の中に、カンガルーネズミの巣の前に生息する草をスペイン銃剣の番人等とおとぎ話的な表現もうまいのが流石。

サンドヒルの雄鹿

 立派な角を持った雄鹿の狩猟に挑戦する物語。狼王ロボと異なり、雄鹿はあくまで逃げる(逃げ方が叡智に溢れる)、最後の最後で主人公は雄鹿を狩猟する事を断念。

 雄鹿の狩猟に魅入られた主人公が様々な人(ネイティブアメリカン)等の知恵を学びながら、雄鹿を追い詰める話。

 雄鹿に何度も逃げられる。その中で雄鹿のつがいである雌鹿を狩猟。雌鹿の死骸を見て考えが変わっていく主人公。

 最後の最後で雄鹿を追い詰めるが、お前は私の兄弟だ。と狙いを定めた銃をおろす。

主人公が雄鹿を追って色々な所を駆け巡る描写が目に浮かぶようで読んでいて楽しい作品。

 

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