2026年6月。わが家のリビングには、かつてのような「女王アリと働きアリ」の壮大な物語はもう響いていません。
2023年当時、ASD(自閉症スペクトラ)の診断を受けた長女は、自分の頭の中に広がる広大な空想の世界を、朝から晩まで、それこそ一分一秒の休みもなく語り続けていました。 あの時、親として抱いていた「この状態はいつまで続くのか」「どう向き合えば正解なのか」という切実な葛藤から3年。
今、静かになったリビングで振り返ると、あの不思議で圧倒的な熱量に満ちた時間は、彼女にとって「自分を表現し、他者と繋がろうとするための、かけがえのない成長のプロセス」であったことが分かります。
独り言ではない。「他者と繋がりたい」という切実なコミュニケーション
ASDの子供によく見られる特性の一つに「独り言」がありますが、2023年当時の彼女の行動は、本質的にそれとは異なっていました。彼女の物語には、常に「聞き手」という存在が不可欠だったのです。
「パパ、聞いて! 女王アリさんがね……」 「ママ、働きアリさんがこう言ったんだよ」
それは自分を落ち着かせるための独白ではなく、自分の内側に溢れるイメージを、大好きな両親と共有したいという、真っ直ぐなコミュニケーションの欲求でした

独り言ではないんだよな~。
私は土日だけなので、できる限り話を聞いてあげたいのだけど。
あまり物語がよくわからない。
独自の空想物語(主に女王アリさんと働きアリさんの物語)を絵にかいて説明してくれます。
絵は親ばかと言われるかもしれませんが、幼稚園の先生にも褒められたこともあり、けっこうしっかりした絵。
その絵をもとに女王アリさんがいて、働きアリさんが〇〇する、働きアリさんはこう言ったという物語を語ってくれます。
24時間フル稼働の「物語」と、親が直面したリアルの限界
とはいえ、親も感情を持った一人の人間です。 毎日、同じようなフレーズが繰り返される物語を一日中聞き続けるのは、想像以上に精神的なエネルギーを消耗する作業でした。特に、生活の大部分を共にしている妻にとっては、その熱量が重圧となり、「少しだけ静寂が欲しい」という切実な願いから、ノイローゼ気味になってしまう瞬間があったのも当時のリアルな事実です。
「真剣に向き合いたい」という理想と、「逃げ出したい」という本音。
JTCという組織で、理不尽な指示を「聞き流す」スキルを磨いてきた私ですが、家庭においてそのスキルはあまり使えませんでした。
<発達障害の育児について>
2026年、物語の消失と「ゆっくりとした成長」の再発見
そして現在、2026年6月。 あんなに執着していた「アリの物語」は、いつの間にか彼女の口から語られることはなくなりました。
あの日、妻が分析していたように、彼女の物語はアニメや絵本の断片を組み合わせた「情報の再構築」だったのかもしれません。しかし、その「膨大な情報をインプットし、自分なりに編集して出力する」という一連のプロセスは、彼女の中に着実なコミュニケーションの土台を作っていました。
物語を語らなくなった今の彼女は、別の形で自分の気持ちを伝え、周囲と折り合いをつける術を、彼女なりのペースで学び取っています。 「あの時の悩みは、永遠に続くものではなかった」。 この事実は、今まさに同様の悩みに直面している親御さんにとって、一つの希望になるのではないでしょうか。
彼女は「何者か」になろうとしていたのではなく、ただ「自分」としてあの瞬間を全力で生きていた。その姿は、出世競争から脱落し、「何者にもなれなかった」と自嘲しがちな私には眩しい姿です。
<親が機嫌よく、心に余白を持って過ごせることが、子供にとっても一番の安心材料になります>



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