【組織論】レナウンは二度沈む

うつ病再発防止に向けたサラリーマン生活
概要

 意思決定のスピードを上げるために組織のフラット化に乗り出した弊社。

 従来の大艦巨砲主義からの脱却を図る方針。比喩表現である大艦巨砲主義について考察した話。

組織のフラット化・大艦巨砲主義からの脱却

 弊社は、意思決定のスピードを早めるため、組織のフラット化・大艦巨砲主義からの脱却を図っていく方針。

 組織をフラット化したはいいが、人事制度は追い付かず、旧部長クラスの人がよくわからない役職があてがわれる一方、課長・係長クラスは席が減らされ、私のように係長になれない人が増加。

かめ
かめ

組織のフラット化はいいけど、結局指揮命令系統の改革が行われていない

ため、報告や指示を仰ぐ人が増えただけだったよ。

 大艦巨砲主義とは

 大艦巨砲主義の定義は、ウィキペディアでは以下の通りですが、比喩表現として、規模ばかり大きく、柔軟に対応できない状態に使われる言葉です。わが社も比喩表現として使い古された「大艦巨砲主義からの脱却」等と役員・部長は発言しています。

大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは、艦隊決戦による敵艦隊撃滅のため大口径の主砲を搭載し重装甲の艦体を持つ戦艦を中心とする艦隊を指向する海軍軍戦備・建艦政策及び戦略思想[1]巨砲大艦主義巨艦巨砲主義巨砲巨艦主義大艦大砲主義 とも。英国海軍戦艦ドレッドノート (1906年)が各国間の建艦競争を大艦巨砲主義に走らせる契機となった[2]タラント真珠湾マレー沖の後、適切な航空援護なしに戦艦を戦闘に参加させてはならないことが認識された[3]

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

大艦巨砲主義の始まりと終わり(イギリスから始まり、イギリスから終わった)

 大艦巨砲主義の始まりは、ウィキペディアにあるとおり、イギリスが1906年に戦艦ドレッドノートを建造したことから始まります。

 戦艦ドレッドノートは、これまでの戦艦とはレベル・水準が比べ物にならないほどレベルが高く、「(戦艦)ドレッドノートクラス(級)」が「ド級」と省略され、ド級を超えるレベルのすごいものという意味で「超ド級」という単語が生まれました。

 ウィキペディアでは、大艦巨砲主義は「タラント」海戦、「真珠湾」海戦(攻撃)、「マレー沖」海戦の後、終焉したとありますが、私は以下の理由により、やはりマレー沖海戦が大艦巨砲主義の終焉となったと考えています。

タラント海戦

1940年11月にイギリス海軍が航空母艦(空母)艦載機により、イタリアのタラント湾に停泊している戦艦を撃破(イギリスの勝利)

→戦艦を撃破しているが、戦艦は港に停泊中であり、自由に動けない状態であったため、完全な戦艦の敗北とはいえないのでは。

真珠湾攻撃

1941年12月8日に旧日本海軍の空母機動艦隊がが真珠湾を奇襲攻撃。真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は壊滅

→大艦巨砲主義の終焉として、よく「真珠湾攻撃」があげられますが、奇襲攻撃ということもあり、完全な戦艦の敗北とは言えないのでは。

マレー沖海戦

1941年12月10日に日本海軍の陸上攻撃機(飛行機)が、航行中のイギリス東洋艦隊の最新鋭戦艦のプリンスオブウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈

→奇襲攻撃等ではなく、完全武装で航行中(戦闘態勢)の最新鋭戦艦が撃沈された。まさしくこれが戦艦の航空母艦・飛行機に敗北。大艦巨砲主義の終焉と判断してもいいと思います。

マレー沖海戦について

 当時イギリスは、最新鋭戦艦であったプリンスオブウェールズと巡洋戦艦レパルスをイギリス本国から、シンガポールへ派遣し、東洋艦隊に組み入れ、シンガポール防衛に充てるはずであったが、日本海軍航空隊に撃沈されました。

 優勢であった日本海軍は、撃沈された戦艦の乗組員をイギリス海軍の駆逐艦が救助するのを邪魔せず、敬意を称え、花束を二個戦死者に捧げたり、プリンスオブウェールズに乗船していた東洋艦隊司令官の戦死を聞いた小沢司令官は「いずれ我々にも同じ運命がくる」と呟いたとの事。

 一方、イギリス首相のチャーチルは、第二次世界大戦で色々な出来後があったにもかかわらず、著書「第二次世界大戦回顧録」で、第二次世界大戦中、最も印象的だったのは東洋艦隊の壊滅(マレー沖海戦での敗北/プリンスオブウェールズとレパルスの沈没)と述べています。

レナウンは二度沈む

 レパルスは、レナウン級戦艦といい、姉妹艦(戦艦大和と戦艦武蔵のような関係)は、「レナウン」という戦艦でした。戦艦レナウンは、戦艦レパルスと違い、第二次世界大戦を生き残り、1948年にスクラップにされました。

 戦艦レナウンは、日本とイギリスがまだ友好関係であった1922年には日本に来日しています。そして、「佐々木商会」という衣料品販売・繊維商品の製造を行っていた会社の創業者は、日本に来日中の戦艦「レナウン」を見て、ブランド名を「レナウン」と名付けたそうです。

 日本を代表するアパレルメーカーであり、1990年代にはアパレルメーカーとしては世界最大の売上高を誇った「レナウン」はもともとは、大艦巨砲主義の申し子である戦艦の名前が由来だったわけです。

 そしてアパレルメーカーのレナウンは、世界最大の売上高を1990年代に誇る一方、百貨店の平場売り主体のビジネスモデルから脱却できず、ユニクロ等のファストファッションの台頭に対抗できずに、上席を悪化させていきます。

 2008年には中国企業の子会社化となり、去年の2020年には、とうとう破産してしまいました。百貨店主体のビジネスモデルから脱却できず、ユニクロ等に猛追を受けるさまは、攻撃機から攻撃を受ける戦艦のように、大艦巨砲主義の終焉を感じさせます。

 レナウンの名前は、レナウンインクスというレナウンのインナーソックス部門の子会社(今はアツギの子会社名)として残るばかりになってしまいました。

 

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