前々から、読んでみたいと思っていた、「失敗の本質~日本軍の組織論的研究~」をやっとゲット。
ゲットといっても購入したわけではなく、図書館で長い間順番待ちの末に、やっと借りることができました。
失敗の本質は主に3章から構成されています。
第1章が過去の具体的な戦史(6つの事例)を踏まえた具体的な失敗例。こちらはおもに個別事例の研究がメイン。第2章は第一章の6つの事変等からまとめた主なまとめ・共通する組織論的観点からの失敗。そして第3章がそれらを踏まえた日本企業にも共通する課題等といった内容。
第一章の感想(失敗の事例研究)
(1)ノモンハン
・中央と関東軍の意思疎通不足。中央は、明確な拡大阻止を現地の関東軍に配慮して定めず、婉曲な表現のみにとどまる。
・関東軍も、前線部隊の意見をあまり聞かず、また前線部隊も当初は戦況が悪化しているにも関わず、積極的な意見のみ。
・人間関係上も中央の参謀次長が不拡大方針を関東軍に伝えに行った際に、関東軍の雰囲気にのまれ、言い切れなかった。関東軍内部の参謀部でも、現実的な意見等をいう参謀もいたが、積極的な作戦参謀の勢いにのまれたようで、結局は言い含められてしまった。
⇒現在の会社でもありうる話ではないだろうか。積極的な意見、声の大きい人の意見が通じる雰囲気はある気がします。また支社、営業が強い会社では、特に大規模支店、有力な部店長がいる支店等の意見はやはり通りやすい。よくある「本店は現場をわかっていない」という意見が大手を振って社内に響いているところもあるのではないでしょうか。
⇒また有力支店の支店長の意向をくんだ副支店長・課長クラスと対峙するのは本店の副部長や課長クラスではなく、担当クラスのことが多いと思われます。その結果、本支店の権限とは別に、人間関係(支店の課長が今度上司になるかもしれない)に影響され、本店の意向を正確に伝えられないケースもあるのではないでしょうか。
(2)ミッドウェー海戦・ミッドウェー海戦は、帝国海軍の暗号が解読されている等もあったが、実は情報が洩れていること自体は、当時の帝国海軍の戦略の敵空母をおびき出して叩くという方針にはそれほど影響がなかったとのこと。
・またミッドウェー海戦で雷撃から爆装にもたもたしていた帝国海軍と対照的に米海軍は整然と攻撃したという勝手なイメージがあったが、なにげに米海軍も当初攻撃はバラバラであった(結果として、低空の雷撃が失敗したものの、帝国海軍がそれに注意を払っており、高高度の爆撃機への警戒が薄れた)のも初めて知りました
⇒本章は、ノモンハンほど、現在の会社に応用できるようなものはなかった気がしますが、突発事態に対して、うまく対処できた米軍と帝国海軍の対比が印象的でした。
(3)ガダルカナル・餓島といわれるガダルカナル島の戦況などについて詳細な分析がありました。具体的には戦力の逐次投入、今では殴り込み部隊として有名な米国海兵隊の本格的な水陸両用作戦に対して、帝国陸軍と海軍の作戦目的の非統一からくるバラバラな動きな
・帝国陸海軍は、あいまいな戦略をカバーできる現場での技量はあったが、それが中枢にフィードバック等がなされることがなかった等
⇒この章には少し違和感を覚えました。あいまいな戦略をカバーできる現場力(たとえそれがフィードバックされず、結果として無駄なものになったとしても)は優れているとあったが、これは本当だろうか。
⇒たしかノモンハンの際に言われた「日本軍は下士官クラスにおいては優秀かつ勇猛だが、高級将校は無能だ」とほぼ同じ意味なのだろう。これは、現代に置き換えると「日本の現場の技術力は優れているが、経営陣が二流なので日本の会社はだめだ」といったところだろうか。
⇒果たしてそれは今現在も真実なのだろうか。失敗の本質が書かれた1980年代初頭は、まだプラザ合意前つまりバブル前であり、ジャパンアズナンバー1の時代。日本の技術力は世界一の時代であり、その当時の世間の風潮が反映されているような気がする。
⇒失われた20年(もう30年か)を経た今でも、「日本の技術力は優れているが、それをうまく使えない経営陣がダメだ」と技術力は世界一の前提で、語ることは私個人としてはもはや単なる慰めのようにしか感じられない。話がガダルカナルからだいぶ脱線してしまったがそういった感想を持ちました。
(4)インパール作戦
・牟田口氏もインパール作戦のもととなる21号作戦(その当時はむしろ日本軍は勝っていた)については、師団長時代には反対していた。
・劣勢になり、攻勢防御?とはいえない時点で第15軍の司令官になっていた牟田口氏が21号作戦をもとにインパール作戦を企画立案。ただし21号作戦自体は、流れただけで、明確に破棄されたわけではないので、それをもとに企画立案したこと自体は組織論的には問題はない模様(牟田口氏も戦後の英軍の尋問等で上司の指令といっていた。人のせいにしたのかもしれないが、全くの嘘でもない)
・15軍の参謀は、無謀な作戦に反対したが、やる気満々の牟田口氏に押された。15軍の麾下の師団長に手を回して、師団長クラスから反対してもらおうとした幕僚もいたが失敗に終わった。
・その結果、インパール作戦はビルマ方面軍傘下の15軍がやりたいという総意になった。15軍の総意ということもあり、上級組織のビルマ方面軍の参謀なども明確には反対できず、遠回しな否定なり、非協力的態度をとってあきらめさせようとした程度。
・その結果、ビルマ方面軍司令官で、牟田口氏の上司の河辺氏が、牟田口の案をつぶすのも可哀想だといった極めて個人的な事情から、最終的には南方総軍傘下のビルマ方面軍の総意となった。
・南方総軍の参謀もビルマ方面軍の参謀と同じく消極的な否定等をしているうちに、やはりインパール作戦は、南方総軍の総意となった。
・結果、大本営の参謀も反対したが、「南方総軍の寺内大将がやりたいといっているならば」と大本営の杉山陸軍参謀総長が許可。
・インパール作戦は、牟田口氏以外はほぼ反対しながら、官僚組織内の人間関係、明確な否定はしないといった風習により、決行されてしまった作戦。
⇒インパール作戦の失敗は、今の日本の会社組織でも多く見られるような気がする。なお、インパール作戦に興味を持ったので、ネットで検索したら、「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」がヒット。
⇒ここでは詳細は述べないが、なかなか考えられさせるドキュメンタリーだった敗走の混乱の中、死亡したと思われた少尉が最後の最後で車いすに乗ってできてた(つまり生きていた)のは、よかった。そして90歳後半になった少尉の絞り出すような話はとても重いものだった。
(5)レイテ海戦
・旧日本海軍が組織として戦った最後の海戦のレイテ海戦。謎の栗田ターンという言葉は知っていたが、その理由などが本章で記載されている。
・作戦の主目的は、フィリピンを米軍にとられない(フィリピンを確保しないと南方と本土の連絡線がズタズタになる)ために、レイテに上陸した米軍をたたくという主な戦略があったにも関わらず、栗田艦隊は、がら空きのレイテ湾を目の前にして謎の反転をした。
・軍令部等の上層部の主目的は、レイテ島に上陸した米軍・補給物資等をたたくということであったが、現場の艦隊等は、あくまで米軍の主力海上部隊をたたくとの認識。レイテ湾を目の前にして、米軍の空母機動艦隊があるとの情報を得て、栗田艦隊はレイテ湾を反転し、北上したとのこと。
・上層部と現場の意思疎通があまりできてないうえに、(通信機の不調)がさらに追い打ちをかけたようだ。ちなみに残念ながら、栗田艦隊が反転・北上し、殲滅せんとした米機動艦隊は、誤報(しかも味方の誤報)だったようです。
(6)沖縄戦
・沖縄戦については、あまり知識が少ないが、大本営と現地の第32軍の意思疎通(航空決戦が持久戦か)がほとんど機能していなかったことがわかった。沖縄戦は戦争末期なので、仕方がないことからも知れないが、重大な意思疎通はなされず、細かな指摘等がされるというあたりは現代の本社・支社の関係でも十分ありうるのではないだろうか・・。
2 第2章の感想 ~失敗の本質~戦略・組織における日本軍の失敗の分析~
・日本軍は帰納的、米軍は演繹的。しかも日本軍は、事実から法則を抽出するという本来の意味での帰納法ももたず、情緒や空気が支配していた。
・日本軍のエリートは、事実を正確かつ冷静に直視せずに、フィクションの世界に身を置いたり、本質にかかわりない細かな庶務的作業に没頭することが多い。
⇒根回しと腹のすり合わせによる意思決定は今でも同じではないでしょうか・・・。先任・後任にこだわるのは、うちの会社でも同じです。
⇒一方、海軍では、自己申告制度や、直属上司、その上級者、海軍省人事局の3者による考課(トリプルチェック)といった制度があったのは知らなかったです。
3 第3章の感想 ~失敗の教訓~日本軍の失敗の本質と今日的課題~
・旧日本軍は、自己革新組織ではなかった。では、今の会社は?
・日本軍は逆説的に、環境に適応しすぎて、失敗した。それは裸子植物を食べるために徹底的に適応した恐竜のように。完全適応は、適応能力を締め出す。
・陸の白兵至上主義、海の艦隊決戦は、ある意味第二次世界大戦前の現状には極めて適応していたようです。
⇒今の日本企業はどうでしょうか・・・。ガソリン車に完全適用しすぎて、電気自動車なり、自動運転等で遅れはとっていないのでしょうか・・・こちらはあと数年後くらいに結論が出ると思いますが、少し心配です。
⇒i-mode等、当時のガラゲーとしては極めて適応していた日本の携帯会社がi-phoneを生み出せなかったように・・・。i-phoneを生み出したのが、ジョブスの天才性だと仮にしても、ではなぜ日本からサムスン、せめてasusが生まれなかったのか・・・。
暗い話になりましたが、この本がまさにジャパンアズナンバー1とされていた30年以上前の1980年代に記載されたことに改めて驚きを隠しえません。またこの本が記載された1980年代はまだ終戦から40年程度しかたっておらず、戦中世代が普通に世間にいっぱいいたことにも改めて驚きました
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