2020年頃、教養を付けようと論語に挑戦したことがありました。
コメダ珈琲でカツカリーパンを食べながら論語を読んでいました。
コメダ珈琲の営業時間は比較的夜遅くまでやっているので、残業中に少しだけ気晴らしに出るのにちょうどよかった。
カツカリーパン、かなり美味しかったです。コメダ珈琲だけあった量が多い。パンの大きさもそうながら、カツもでかい。サクサク。
カツもうまいが、カツにかかっているカレーもうまかったなぁ。
のども乾いたので、たっぷりアイスコーヒーでのどを潤す。
金属製のコップに入ってきたアイスコーヒーはなぜか陶器やガラスのアイスコーヒーより冷たい気がして、美味しく感じます。
論語は、日本人の価値観にも大きく影響を及ぼしている書物にも関わらず、「子、曰く」みたいな感じで中学・高校の漢文の時間に少し学んだ程度でした。
そのため、一回は全編読んでみたいと思い、図書館で借りてきました。全編読むといっても、原文やら漢文では当然読めませんし、書き下し文も無理。という事で当然、日本語の注釈ありの論語を読んでいます。
原文・書き下し文・日本語注釈・さらに説明といった流れなので、上・中・下巻の上巻の半分にたどり着くまでも結構な時間が・・・。
論語には様々な注釈があり、清朝以前の古注、朱子学の朱熹による新注と大きく2分類されるようです。
清朝以前の古注の最初の人(注釈者)は、後漢末期の「鄭玄」。鄭玄って確か、三国志にも最初の方に出てきた気がする。(勘違いかな。蒼天航路には出てきており、若き日の曹操の荒行を、これでよし!みたいな事を言っていたきがします。)
そしてその次の注釈者として名前がでてくるのが、なんと「何晏」。何晏は、三国志序盤に出てくる肉屋代将軍の何進の孫であり、三国志の後日談である、司馬懿の魏の権力奪取の際の、当て馬(実際には当て馬にすらなっていない小物扱い)でした。
三国志だけ読んでいると何晏は小物かつ胡散臭いイメージでしたが、論語の注釈をしていたとは。昔の知り合いの別の顔、いつもちゃらんぽらんの友人の真面目な一面を見たときのような嬉しさがありました。
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