【書評】「合戦の日本史」/本郷和人

40代夫婦の体験談

 日本史を軍事的視点で分析する1冊。軍事的視点というと物々しく感じるが、平易な文書とよくある事例(桶狭間の戦い等)を例示・解説するわかりやすい1冊。

 軍事的視点からの考察といっても、細かな戦術、兵器等の説明ではなく、戦いとは①数である、②経済である、③戦場のリアル(農民兵が多い)といった基本的なことを著者は繰り返し、様々な事例を挙げて解説。

第一章 合戦の真実

 従来の合戦はどうしても英雄譚による奇襲攻撃といった「物語」が重視されてきた。本書において合戦とは①数である、②経済であると繰り返し述べられる。

 また合戦の勝敗は、戦場での勝ち負けではなく、戦略目標の達成の有無によると著者は分析。

 有名な川中島の戦いは、戦国武将で有名な上杉謙信と武田信玄の戦いで引き分けとなっているが、上杉謙信は戦略目標である北信濃の侵攻ができず、武田信玄は北信濃を領有しつづけたので、大きな目線では武田信玄の勝利であると著者は述べる。

 川中島の戦いは、上杉謙信による武田信玄の本陣への突入物語ばかり先行してしまうが、確かに著者のいうとおり。

 また桶狭間の戦いは、大軍率いる今川義元に寡兵の織田信長が奇襲をしかけたと物語ではあるが、当時の今川義元の石高から算出する動員兵力は1万5千人、対する織田信長は1万人弱のため、そこまで寡兵ではなかったと分析。

戦術

  軍師が旗や扇を振ってさっと陣形が展開される三国志的な戦術は、当時ではありえなかったと一刀両断。

 武士中心であった少数兵力であった鎌倉時代ならともかく、各種兵科が混合で農民兵も多くいた戦国時代においてはやはり「数」が戦いの帰趨を決めていた。

 ただ少数兵力が奇襲によって大敵を打ち破る場合もあり、その場合に重視されるのは戦術というよりも情報伝達能力とその情報伝達能力を支える士気であったと著者は述べる。

 奇襲はめったに行わないから「奇襲」であるというのはものすごく納得がいく言葉。

  鎌倉時代の落城は早かったという豆知識をゲット。従来、単一民族であった日本は、都市全体を取り囲む城(欧州や中国)は作らず、簡易な砦が多かった。

 戦国時代になり、城郭建築が本格化し、今のような城となった。城は、①居住用の城、②周辺地域を領有・支配するための城、③勢力の境目の城の3種類に分類され、それぞれの城に対する責めて側の戦略も異なってくる(絶対に落城させるor見張りの兵を置いて素通りする)等

勝敗

 勝敗は一騎打ちが主流の鎌倉時代であれば、敵の大将の首をとれば勝利というわかりやすいものであった。

 集団戦がメインの戦国時代ではなかなか敵の大将を討ち取るということは少なくなってきている。軍記物等では大将の一騎掛け等が華やかに語られるが、実際はそのようなことは稀であったようだ。

 実際に戦国時代における大将クラスの戦死は数えるほどしかない。

 戦国時代の勝敗の帰趨を決するのは「指揮系統の崩壊」。指揮系統が崩壊した軍はバラバラになり、撤退・敗走をよぎなくされる。

まとめ

 

従来の日本史の研究では、すっぽり抜け落ちていた軍事的観点からの考察の重要性を著者は繰り返し、言い方を変えて述べている。

 わかりやすい内容・平易な記載ぶりなのでお勧め。


 

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